| 5月1日 |
| 「メーデー」 |
| 「May Day」のルーツは、ヨーロッパに古くから伝わる五月祭といわれ、初夏の若草の出づる野に集い、花を摘み、歌い踊る楽しい祝日だったといいます。現在のメーデーは、1886年5月1日、米国の労働者が「8時間の労働、8時間の休息、8時間の教育」を叫びストライキ、デモを行ったことに始まります。3年後の第二インターナショナル創立大会で、この日を <万国労働者団結の日> と定め、労働者の祝日とし、翌年に第1回メーデーが開催されました。日本でのメーデー初集会は、1905(明治38)年に平民社で開催された「メーデー茶話会」ですが、労働組合主催で公然と行われたのは、1920(大正9)年5月2日の上野公園でのメーデーが最初です。戦後の1952年のメーデーは、デモ隊と武装警官の流血事件となりました。 |
| 「世界初の郵便切手はヴィクトリア女王様」 |
| 1840年のこの日、イギリスで世界最初の切手印紙が発行されました。第1弾はヴィクトリア女王の胸像を凸版印刷したもので、同年1月10日、郵便料金が全国一律16gまで1ペニーに改正された際、スタンプに代わるものとして糊つき切手が考案されました。 |
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| 5月2日 |
| 「鉛筆の工場生産開始」 |
| 今から約600年前の14世紀頃のイタリアで、鉛とすずを混合した芯を木軸に装着した鉛筆が作られていたといわれます。日本へ渡来したのは江戸初期で、オランダ人が徳川家康に献上したもので、現在も静岡県の東照宮博物館に保存されています。手細工の国産鉛筆第1号が作られてから5年後の1886(明治19)年5月2日、東京・新宿で真崎仁六による鉛筆の工場生産が始まりました。後の三菱鉛筆です。当時、最も需要が高かったのが郵便局でした。1901(明治34)年、真崎の鉛筆を逓信省が採用したのをきっかけに、国産化が進みました。 |
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| 5月3日 |
| 「リカちゃんの誕生日」 |
| 漫画キャラクターのお人形「リカちゃん」は、5月3日生まれで小学5年生、父親は海外単身赴任していて、母親はファッションデザイナーという設定です。1967年に玩具メーカー「タカラ」がリカちゃんをつくり、7月に発売しました。 |
| 「ラムネの誕生日」 |
| 1872(明治5)年のこの日、東京の実業家・千葉勝五郎がレモン水製造技師を雇って作ったのが、ラムネの始まりです。西洋のレモン汁に砂糖と水を加えた飲み物「レモネード」がなまって「ラムネ」となったといわれています。さて、ラムネといえばカラコロと音をたてるビー玉ですが、そもそも業界用語で輸出用の着色された「A玉」と、透明の「B玉」という使い分けがあり、日本で主流になったのが後者だったため、ガラス玉を総称して「ビー玉」というようになりました。ビンの中のビー玉は、まずビー玉をビンの中に入れておいてから、飲み口を細くするという製造工程がとられています。 |
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| 5月5日 |
| 「こどもの日」(国民の祝日) |
| 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」という趣旨の下に、1948年に制定された祝日です。 |
| 「わかめの日」 |
| <こどもの日> にちなみ、こどもの成長・発育に欠かせないミネラル、カルシウムなどを含んだわかめをたくさん食べてもらおうと、1983年に日本わかめ協会が設けた記念日です。 |
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| 5月6日 |
| 「パリのエッフェル塔公開」 |
| フランス革命100周年にあたる1889年、パリで開かれた第4回万国博覧会の初日に、エッフェル塔が公開されました。高さ984フィートで、塔の名は設計・建築を手掛けたアレクサンド・エッフェルに由来しています。50年後、ドイツ軍のパリ入城と同時にエッフェル塔のエレベーターが故障し、塔頂まで昇ろうとしたヒトラーも、疲れて途中であきらめたという話があります。 |
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| 5月7日 |
| 「日本で第1号の理学博士誕生」 |
| 植物学の伊藤圭介は、1888(明治21)年のこの日、日本で第1号の理学博士となりました。ただし、論文の提出による本来的な博士号ではなく、教育行政への貢献度を評価されたもので、今でいう名誉博士的な性格が強く、本格的な理学博士が生まれたのはそれから3年後のことです。ちなみに、当時は博士の上に大博士の学位がありましたが、該当者がなく1898(明治31)年に廃止されています。 |
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| 5月8日 |
| 「世界赤十字デー」 |
| 1828年5月8日、赤十字の創始者であるアンリ・デュナンの誕生日にちなみ、設けられた日です。赤十字のマークは、デュナンの祖国であるスイスの国旗の赤と白を反転させたもので、十字のマークは東洋では「福徳」を、西洋では「仁義」を意味するといいます。 |
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| 5月9日 |
| 「アイスクリームの日」 |
| 1869(明治2)年のこの日に、日本で初めてアイスクリームが製造・販売されたことにちなみ、日本アイスクリーム協会が1965年から実施している記念日です。初めて販売をしたのは横浜・馬車道通り、売り出したのは町田房蔵で、当時は「あいすくりん」という名称で1人前2分(約8000円)と高価なものでした。ちなみに、日本で初めてアイスクリームを食べたのは、1860(万延元)年、使節としてアメリカを訪れた勝海舟、福沢諭吉の一行だったといいます。 |
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| 5月10日 |
| 「電気式四輪自動車、日本初お目見え」 |
| 1900(明治33)年のこの日、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)と公爵九条道孝の第4女節子姫との結婚式が行われました。これを祝し、1台の電気自動車がサンフランシスコ在留日本人会から献上されました。自動車到着後、宮内庁が試運転した時に、"馬のない馬車"を珍しがったひとりの老婆が近づいたところ、ブレーキがきかずお堀にドボンと落ちてしまいました。「カクモ危険ナル物は御召料ニアイナラズ」とされ、そのまま車はお蔵入りにされました。ちなみに、この事故が警視庁史に残る自動車事故第1号になりました。民間では、1902(明治35)年、ある自動車会社がフランスから輸入した車を三越が買い、運転免許第1号が登場しました。 |
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| 5月11日 |
| 「長良川鵜飼開き」 |
| 5月のこの日、長良川で鵜飼開きが行われます。鵜飼とは、鵜匠ひとり、中鵜使ひとり、船頭ふたりで構成されており、つないだ鵜に鮎を捕らせる伝統的漁法で、その歴史は古く、中国の『史書倭国伝』には7世紀初めに鵜に首結いをつけて魚を捕獲したと記されています。長良川のような深い川で捕漁する場合には、2歳未満の鵜をならし、15〜20年間飼育するといいます。彼らの1日の働きっぷりは、鮎や鯉など平均約40匹も捕まえるそうです。 |
| 「母の日(第2日曜日)」 |
| アメリカ人のアンナ・ジャービスの「5月の第2日曜日を <母の日> に」との呼びかけに、1908年のこの日、407人の子どもと母親が米ウェストバージニア州に集合しました。カーネーションを贈るのは、アンナが母親の墓前に白いカーネーションを飾ったことから始まりました。日本には大正時代に伝わり、一般的になったのは昭和20年代からといわれています。 |
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| 5月12日 |
| 「ナイチンゲール・デー」 |
| 元祖・白衣の天使、赤十字の母といわれるナイチンゲールは、1820年5月12日、イタリアで誕生しました。「私に神様のお告げがあって、神様への奉仕に召された」という記述が、16歳の時の日記にあります。赤十字社では、彼女の誕生日を記念し、世界各国の優秀な看護婦にナイチンゲール記章を授与しています。 |
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| 5月13日 |
| 「不死身の男アラビアのロレンス不慮の事故死」 |
| 「確実な成功にはなんらの栄誉もありえないが、確実な敗北からは多くの力がほじくり出されるはずだ」といったT・E・ロレンスは、ベドウィンの白い衣をまとい、砂漠で勇壮に立ちふるまう姿は小説や映画でおなじみです。アラビア独立を願い、反乱を指導し、現地の人々に愛されたロレンスですが、本国イギリス政府と対立し、失意のうちにアラビアを去りました。帰国後の1935年5月13日、オートバイで転倒し意識不明のまま帰らぬ人となりました。 |
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| 5月14日 |
| 「大リーグ初のナイター」 |
| 1935年のこの日、大リーグ、レッド・レッグス対フィリーズのナイトゲームが、オハイオ州シンシナティのクロスリー球場で行われました。このナイトゲームは大恐慌による観客の減少の打開策で、ライトの点灯は、ルーズベルト大統領の手によって行われています。 |
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| 5月15日 |
| 「沖縄本土復帰記念日」 |
| 1971年6月17日、宇宙中継により東京・ワシントン間で「沖縄返還協定」が結ばれ、翌年5月15日に返還され沖縄県が発足しました。沖縄県ではこの日を
<沖縄復帰記念日> としています。 |
| 「アメリカ初のプロ野球チーム誕生」 |
| 野球人気が急速に高まりつつあった1860年代に、アマチュアチームのひとつシンシナティ・レッド・ストッキングスが、1869年のこの日、全国野球人協会に脱会届を提出し、プロ化を宣言、全米初のプロ野球チームが誕生しました。 |
| 「サッカー事始めとJリーグの開幕」 |
| 1873(明治6)年、英国海軍ダグラス少佐が東京・築地の海軍兵学寮の生徒達に教えたのが、日本にサッカーが渡来した初めといわれています。それから約100年後の1968年、メキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得、そして1993年のこの日、10チームによる日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕しました。 |
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